半導体技術は、20世紀における最も重要な科学的発見の一つとされています。半導体は、人類の生活を一変させる革新的な進化を遂げてきました。
現在、半導体は、スマートフォン、パソコン、自動車、家電製品など、様々な機器に搭載されているだけでなく、人工知能(AI)、ビッグデータ、IoTなどの最先端技術の開発にも不可欠な存在となっています。
気が遠くなるほどの長い文明史に比べれば、「100年」はほんの一瞬の出来事に過ぎません。にもかかわらず、半導体は文明を一変させるほどのイノベーションをもたらしました。
産業革命末期の1890年代の暮らしと、8ビットCPU「ファミリーコンピュータ」が普及した1990年代。たった100年で、ここまで文明の様相が変わってしまうとは、誰が予測できたでしょうか。
そこでこの記事では、「温故知新」をテーマに、あらためて半導体の歴史を辿り、各時代においてどのような意味を持ち、暮らしに貢献してきたのかを見つめ直していきます。
歴史の意味は、歴史を観測する人によって異なります。あなたは、何のために半導体の歴史を探ろうと思ったのでしょうか? この記事を読めば、もしかしたら、思いもよらない気づきや発見があるかもしれませんね。
目次
半導体の歴史を100年で振り返る
20世紀末に誕生し、現代社会を支える基盤技術となった「半導体」。その歴史は、わずか100年という短い期間の中で、目覚ましい進化を遂げてきました。
1900年代初頭「半導体の前夜」
半導体の始まりは、電磁気学の法則で有名なジョン・フレミングによる「真空管の実用化」にルーツを求めることができるでしょう。
フレミングは、ケンブリッジ大学で電磁気学の草分け的存在である理論物理学者マクスウェルに師事し、その後、大学関連の仕事に携わるかたわら、複数の企業で技術顧問を務めました。
そして、歴史を決定づける運命的な出会いを果たします。それは、白熱電球を発明したエジソンの会社でした。
フレミングがエジソン社に在籍していた当時、エジソンは白熱電球の改良に取り組む過程で「エジソン効果(熱電子効果)」と呼ばれる現象を発見しました。
これは、真空に近い白熱電球内に正電位(プラス)の電極を持つ金属板を入れると、フィラメントと金属板の間に電気が流れる一方、金属板を負電位(マイナス)にしたときには電気が流れないという現象です。
エジソン自身はあまり関心を示さなかったこの現象でしたが、フレミングはエジソンから実験球を譲り受け、エジソン効果に関する研究を継続し、真空管に応用しました。
フレミングのエジソン効果研究は、真空管の実用化につながり、「2極真空管発明」が誕生しました。
真空管は、電流を制御・増幅する“古典的な電子デバイス”であり、言うまでもなく、のちのラジオやテレビ、コンピュータなどの電子機器の発展に大きく貢献します。そしてこの発明が、電気によって機械設備の作動をコントロールする「電気制御」の技術をもたらすことになります。まさに半導体のルーツといえるでしょう。
1950年代「トランジスタの誕生」
①点接触型トランジスタの発明
1947年末、AT&Tベル研究所のJ.バーディーンとW.ブラッテンは、画期的な発明を成し遂げました。それが、最初のトランジスタである点接触型トランジスタです。真空管に代わる小型・高性能な電子デバイスとして、大きな可能性を秘めたこの発明は、後の電子機器の発展に大きく貢献しました。
翌1948年6月、W.ショックレーらによる研究の成果として、機械的に安定した接合型トランジスタが発明されました。点接触型トランジスタよりも安定性と信頼性に優れ、量産化への道を開く大きな進歩となりました。
②トランジスタの進化:集積回路(IC)からLSIへ
トランジスタの発明は、電子機器の小型化・高性能化に大きな飛躍をもたらしました。その後、多数のトランジスタを一つの基板にまとめた集積回路(IC)が発明され、さらに素子の集積度を1000〜10万個以上に高めた大規模集積回路(LSI)へと進化しました。
③量子トンネル効果とエサキダイオード
1955年、東京通信工業(現SONY)は、トランジスタラジオ「TR-55」を発売しました。従来の真空管ラジオよりも小型・軽量・低消費電力で、画期的な製品として大ヒットしました。
このトランジスタラジオの製造工程での歩留まり向上を目指した研究が、後に「量子トンネル効果」の発見につながるきっかけとなりました。
トランジスタの高速化を目指した研究を進めていた江崎玲於奈は、1957年、2種類の半導体の間の絶縁層を10nm以下にした構造を人工的につくり、半導体内での電子の「トンネル効果」を発見しました。
この「トンネル効果」の活用によって誕生した最初の電子デバイスがエサキダイオードです。エサキダイオードは、高速スイッチング素子としてLSI技術の発展に大きく貢献しました。
1970年代「Intel 4004の誕生」
1971年、Intel 4004が発売されました。これは、世界初のシングルチップマイクロプロセッサであり、コンピュータの歴史に画期的な一石を投じる革新的な発明となりました。
Intel 4004の開発は、日本のビジコン社からの電卓用LSIの開発依頼がきっかけでした。
しかし、インテル社のT.ホフは、汎用の論理デバイスとして開発することを提案しました。この提案は、ビジコン社の嶋正利とインテル社のF.ファジンを中心に進められ、1971年にIntel 4004が完成しました。
Intel 4004は、汎用性の高いマイクロプロセッサとして注目を集めました。その汎用性に着目したインテル社は、販売権を獲得し、後のコンピュータの発展に大きく貢献することとなりました。
1980年代「フラッシュメモリの発明」
フラッシュメモリは、1980年に東芝の桝岡富士雄氏によって発明されました。従来のメモリとは異なり、情報を1ビットごとではなく一括消去することで、コストを大幅に削減し、電源を切ってもデータが消えない不揮発性の半導体メモリを実現しました。
フラッシュメモリの利点は、以下の通りです。
- 低コスト: 一括消去によって、製造コストが大幅に削減されました。
- 不揮発性:電源を切ってもデータが消えないため、携帯性や信頼性に優れています。
- 書き換え可能:データの書き換えが可能で、繰り返し使用できます。
これらの利点から、フラッシュメモリは、パソコン、携帯電話、デジタルカメラ、ICカードなど、身の回りの様々な機器に広く搭載されています。
1983年「ファミリーコンピュータ発売」
半導体技術の進化は、家庭の娯楽スタイルにも革新をもたらしました。1983年、任天堂は8ビットCPU搭載の家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」を発売しました。
ファミリーコンピュータは、自社ソフト「スーパーマリオブラザーズ」の大ヒットとともに、爆発的な人気を博しました。その後、1990年には16ビットCPU搭載の「スーパーファミコン」、2001年にはゲームキューブ、2006年にはWii、2012年にはWii U、2017年にはNintendo Switchなど、高性能なゲーム機が次々と発売されています。
1991年「カーボンナノチューブの発見」
半導体技術の進化は、ナノテクノロジーの進展と密接に関係しています。その象徴的な出来事が、1991年の飯島澄男氏によるカーボンナノチューブの発見です。
カーボンナノチューブは、炭素原子を六角形構造で繋ぎ合わせた極めて細い管状の物質です。その特性は以下の通りです。
- 高電流密度耐性:銅の1000倍以上の高い電流密度に耐えられるため、半導体の微細化に貢献することが期待されています。
- 高熱電動特性:銅の10倍の高い熱電動特性を持ち、優れた放熱性を実現します。
- 優れた機械的強度:鋼鉄の100倍以上の高い機械的強度を持ち、耐久性にも優れています。
これらの特性から、カーボンナノチューブは、シリコンに代わる次世代半導体材料として大きな期待を寄せられています。
1993年「青色発光ダイオード実用化」
発光ダイオードは、低電力で駆動できる光源であることから、ディスプレイへの応用が期待されていました。しかし、当時は赤色や緑色の発光ダイオードしか実用化されておらず、フルカラー表示を実現するには青色発光ダイオードの実用化が不可欠でした。
そして1993年、日亜化学と中村修二氏によって、ついに青色発光ダイオードの実用化が達成されました。この発明により、光の三原色である赤・緑・青の発光素子が揃い、RGBによるフルカラー表示が可能となりました。
青色LEDは、テレビやスマートフォンなどのディスプレイだけでなく、照明や医療機器など様々な分野で活用されています。
2002年「地球シミュレータが世界最速を記録」
日本の科学技術庁(当時)が主導した「地球シミュレータ」は、地球規模の気候変動や地層・地殻変動メカニズムなどを解明するためのベクトル型並列スーパーコンピュータです。
2002年6月、LINPACKベンチマークで実効性能35.86TFLOPS(テラフロップス)を記録し、世界最速のスーパーコンピュータとなりました。
地球シミュレータは、1秒間に約36兆回の浮動小数点演算を行う処理能力を持ち、当時の2位のIBM ASCI Whiteに5倍の差をつけていました。この圧倒的な性能は、世界中の科学者たちを驚かせ、「コンピュートニクショック」と呼ばれるほど大きな衝撃を与えました。
2011年「スーパーコンピュータ「京」が世界最速を達成」
文部科学省を中心に開発が進められていた次世代スーパーコンピュータ「京」は、2011年11月にLINPACKベンチマークで10PFLOPS(ペタフロップス)を達成し、世界最速のスーパーコンピュータとなりました。
これは、1秒間に1京回という浮動小数点演算を行う処理能力であり、当時としては画期的な性能でした。京の達成は、日本の科学技術力の高さを世界に示す象徴的な出来事となりました。
今後期待される半導体の可能性
2025年以降は、長期的な成長が世界的に期待されており、一部のメディアでは、2030年代には、市場規模100兆円突破の可能性があるとされています。
主要な成長分野は以下の通りです。
- 車載半導体:電気自動車(EV)の普及や、自動運転技術の進展に伴い、車載半導体の需要は飛躍的に増加すると予測されています。
- データセンター・クラウド:5Gやビッグデータの普及に伴い、データセンターやクラウドサービスへの投資が拡大しており、これに伴い、半導体の需要も増加すると考えられます。
- AI・IoT:AIやIoT技術の進展に伴い、様々な機器やデバイスに半導体が搭載されるようになり、需要は拡大していくでしょう。
注目すべきポイント
【産業用途・医療・自動車向けへの需要増加】
スマートフォンやPCなどの従来の市場に加え、産業用途、医療、自動車などの分野における需要が拡大していくと予想されます。
【シンギュラリティによる市場拡大】
AIの進化が進むことで、2045年頃にはAIが人間の知能を超える「シンギュラリティ」が訪れるとされています。シンギュラリティが実現すれば、半導体市場は新たな活況を迎える可能性があります。
【DX化による生産性向上】
半導体業界でもDX化が進み、生産性向上や新たなニーズへの対応が期待されています。
三次元化による性能向上: 微細化の限界が見え始めており、半導体の三次元化(三次元構造のチップ)による性能向上への期待が高まっています。
さいごに
第二次世界大戦中、米陸軍は弾道計算などの複雑な計算処理を高速で行う計算機開発を計画し、ペンシルベニア大学のジョン・モークリー氏とジョン・エッカート氏を中心とするチームに資金提供を行い、ENIACを開発しました。
ENIACは、十進数10桁の数を20個同時に記憶し、加算や減算は毎秒数千回、乗算や除算は数十回から数百回という驚異的な処理速度を実現しました。当時としては画期的な性能でした。
その処理速度を支えるために、ENIACは巨大な筐体を必要としました。大きなロッカーを横に並べたような形状で、幅30メートル、奥行き90センチメートル、高さ2.4メートル、重量はなんと27トンにも達しました。
内部には、約18,000個の真空管をはじめ、ダイオードやリレーなどの素子を数千から数万個ずつ使用し、全体で約150kWの電力を消費しました。回路素数は合計約11万個と、まさに当時の技術の粋を結集したマシンでした。
もし半導体が当時存在していたら、ENIACはポケットに入れて持ち運べるほどのサイズだったかもしれません。技術革新の進歩を感じさせるエピソードです。
20世紀の革命的な発見となった半導体技術は、現代社会を支える基盤技術としてなくてはならない存在です。今後も、半導体技術は更なる進化を遂げ、人類の生活に新たな可能性をもたらしていくことでしょう。
【参考文献】
- 日立ハイテク
- https://www.hitachi-hightech.com/jp/ja/knowledge/semiconductor/room/about/history.html
- 東京エレクトロン株式会社
- https://www.tel.co.jp/museum/exhibition/history
- RSコンポーネンツ
- https://jp.rs-online.com/web/content/discovery/ideas-and-advice/semiconductor-history-guide
- 一般社団法人 JEITA半導体部会
- https://semicon.jeita.or.jp/history
- 香川大学経済学部
- https://www.ec.kagawa-u.ac.jp/~tetsuta/semicon
- 日本半導体歴史館
- https://www.shmj.or.jp